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アルファーアビエィションでの日々:Sさん

 


 氏名 Sさん

 年齢 40歳

所属会社 

 資格等国土交通省航空局 事業用操縦士回転翼航空機 陸上単発ピストン機・単発タービン機限定・陸上多発タービン機限定・BK117限定



----Sさんは、体験記風にまとめてくださいました。そのまま掲載します。----

アルファーアビエィションでの日々
1.アルファーに決めたこと

 私がアルファーアビエィションで勉強を始めたのは、99年の2月でした。それまでは、長年半導体の研究開発の仕事をしていました。会社を辞め、年齢的にも決して若くないのに、異分野への転進とは随分と無茶なことをしたものだと思います。お金もかかりますし、周りの人からみると、せっかく築いて来たキャリアを棒に振ってまで何をする気?というように思えたはずです。しかし、やってみたかったことは、始めてしまった訳です。妻も仕方なく、好きにさせてくれたみたいです。

 学校選びの方は、アルファー以外にもいくつかパンフレットを取り寄せたり、訪問して話を聞きました。その時私が学校選びの基準にしていたのは、訓練に関することは勿論、ライセンス取得までの道筋や手配の詳細について、即座に要を得た説明が聞けるかどうかでした。これが曖昧であったり、漠然としていたら怪しいと思っていました。そして訓練生の数。これが多い程、試験対策や訓練のノウハウも蓄積されていると考えるのが普通でしょう。そして最も重要なのが、ライセンス取得後の就職を積極的にバックアップする気があるのかどうかでした。

 アルファーでは、担当の方が説明をきちっとしてくれて、これらについて少なくとも他校に劣ることはなさそうだと感じました。訓練費の見積もりは、私が回った中ではアルファーが最も高かったようでした。しかし、それに含まれている内容にもよりますし、あとあと含まれていない費用がかかるのはいやでした。また、訓練費が高ければ内容が良いと言うことはありませんが、安すぎるのはおかしいし、整備費や教官の人件費、運用に関わる費用などを考えれば、ある程度の金額でないと成り立たないものだろうと思いました。
 と言う訳で、最終的にアルファーに決めました。コースはオーストラリアで自家用訓練、国内で事業用訓練を行い、最終的に単発ピストン、単発タービン、双発タービン、BK117の事業用ライセンスを取るものでした。
2.渡航前の座学のこと

 2月の半ば頃から、三田本社でオーストラリアに渡航前の座学が始まりました。これはオーストラリアでの勉強がスムーズに行くように、工学、航法、法規、気象について基本的なことを勉強しておくという位置付けだったと思います。

 学校には2日か3日に一度くらいの割合で通い、それ以外は毎日図書館で勉強していました。初めて聞くことばかりなので最初は大変な気がしましたが、難解で理解できないということはありませんでした。ただ、何度もくりかえして頭に入れて行く努力が必要だったと記憶しています。

 最後にオーストラリアで受ける試験の一部である工学の試験を三田本社で受け、3月の後半に渡航しました。事前に試験対策もあり、きっちり勉強をやれば受かる内容だったと思います。
3.オーストラリアでの訓練のこと

 オーストラリアでの自家用訓練は、メルボルンから北へ行ったマンガロア飛行場にあるアルファーアビエィション・メルボルン校で行いました。大きな滑走路が2本あり、旅客機も降りれる飛行場だそうで、時々ビジネスジェットが来たりもしてました。帰国して有難さがわかりましたが、あれだけ広い飛行場で貸しきりに近い状態で訓練するのは、日本では考えられません。宿舎は敷地内にあり、飛行場の周りは延々と牧場と牧草地が広がった何もない所です。人によってはつまらない所だと思うかもしれませんが、日本では見られない広大な風景は、私にとっては気持ちのいいものでした。遊ぶところが無いのは、訓練と勉強に最適だったと思います。

 さて、着いた次の日に身体検査を行い、Student Licenseをもらって座学と訓練がスタートしました。座学は航法、気象、法規を中心に行われ、一日にテキスト1章分の早さで進みました。ページ数もかなりの量で、章末の問題を次の日までにやってくることになっていました。座学期間中は、毎日夜中の12時頃まで勉強に追われたことを覚えています。ただ、それほどまじめにやらなくても、なんとかなっていた要領の良い人もいたようです。

飛行訓練の方は、毎日1回(約1時間弱)、場合によっては日に2回のペースで進みました。天気が良い日が続きほぼ毎日訓練が可能でした。どの学生にとっても、最初の関門はソロに出ることでしょう。場周訓練中に教官に突然「じゃあ今度は一人で飛んで来い。」と言われて初めてソロに出される訳です。ソロは学生にとっては勿論ですが、教官にとっても重大なイベントのようです。自分がソロに出した学生が飛んで行くのを、地上から心配そうにずっと見ていた姿を覚えています。ソロから帰ってくると真っ先に教官が言葉をかけてくれ、学生以上に喜んでくれます。出来の悪い学生の場合ほど、この傾向が強かったように思います。何が何でも俺がこの学生を仕上げてやらなくてはと言った気持ちが強いようです。オーストラリア人のこうした気質は、日本人のものと通ずるところがあるようにも思えました。
訓練過程はR22による単発ピストンと夜間有視界飛行、B206による単発タービンまで終えた後、BK117による多発タービンの訓練を残して7月の初旬に一時帰国しました。機体の準備が少し長引くのと8月に国内事業用の学科試験と航空通信士の試験をひかえていたためで、旅費は、学校の方で負担してくれました。 ところで、海外での訓練や生活と言えば言葉の問題を考えますが、私の場合には以前の仕事でも英語を使うことがあったので、特に問題はあまりありませんでした。教官との理解もスムーズだったため、とくをしたようにも思いました。また、オーストラリア人と言うのは、相手が英語が苦手でも一生懸命に意思の疎通をはかろうとしてくれます。世界は多国籍国であるということを良くわかっていて、英語が苦手だからと言って人を見下すような国民性ではないようです。へたでもいいからウジウジせず、はっきりと意思を伝えようとすれば、面倒がらずに良く聞いてくれます。これには、私も関心しました。


オーストラリアで初等教育を担当するエレノアさんが来日。
本社で、生徒さんの訓練内容の向上や生活環境向上のため詳細な打ち合わせを実施しています。
オーストラリアでの訓練の内容や生活の様子を渡航前の生徒さんに一人一人に説明したり質問に答えたり大忙し。
下妻ヘリポートではオーストラリアでの初等訓練を終えて、さらに事業用操縦士を目指す生徒たちと再会を楽しんだ(2000年10月)。

4.三田での国内座学のこと

7月8月と国内の事業用訓練に先だって座学がありました。ここでの目的は、事業用の試験に必要な知識をノートに整理し、訓練に入ってから飛びにできるだけ集中できる下地を作っておくことだったと理解しています
。ところが私の場合には、学科試験と航空通信士の試験が迫っていたため、ノート作りにあまり時間をさけないことがわかってきました。そこで、本に線を引いたり付せんをつけて、あとでノートにまとめられるようにしておき、とにかく内容を頭に詰め込むことに専念しました。この甲斐あってか、学科試験と航空通信士とも、短い間の勉強でパスすることができました。
 これには、アルファーで用意してくれた、模擬テストや例題集も非常に役立ちました。これらの問題は全て正答できるようにしておいたのは言うまでもありませんが、短期間に一度で合格できたのは、このおかげだと思います。

5.オーストラリアへの再渡航

 9月には再度オーストラリアに行き、BK117の訓練が始まりました。この時は、国内の学科試験も一段落ついていたし、2度目で勝手が分かっていることもあり、気楽でした。訓練はマンガロアから離れFLY AWAYと称して、内陸の方に遠征して行なわれました。荷物室に飲みきれないほどのビールをつみこみ、夕方からは必ずバーべQでした。訓練は広大な国定公園のようなところ(公園でもなんでもないらしいですが)で行われ、川に沿っての飛行や林の中の隙間への着陸など、自然を利用したものも多く取りいれたものでした。かなり勉強もしたと思うのですが、楽しい遠足と言う印象の方が強く、生涯忘れることのない体験でした。いつかチャンスがあったら、R22で参加してみたいと思っています。
6.下妻での訓練のこと

 10月末から下妻で事業用の訓練が始まりました。自分としては、ここまででも相当まじめにやって来たつもりでいましたが、実はここからが本番で、桁違いに気合をいれないと合格できないことがわかってきました。

 まず高度や速度など、飛行の精度が要求されると言うこと。今までは、ただ浮かんでたという感じです。そして知識については、ほとんど書物を暗記するくらい詰め込む必要があるものもありました。

 役に立ちそうなことは、とにかくやってみました。他の学生のオートローテーションの練習を下から見つつ、歩きながら手足をうごかして、イメージトレーニングをよくやりました。また、フライトコンピューターを回しながら畑の中の道を自転車で走り、航法の練習をしたりもしました。昼休みにはフードをかぶってR22に乗りこみ、BIFのイメージトレーニングをよくやりました。夏場は蒸し風呂状態で、汗だくでした。それから、学生の一人にシミュレーターを持っている人がいて、よく貸してもらいBIFの練習をやらせてもらいました。これも大変役立ったと思って感謝しています。

 と言う訳で、国内の事業用訓練では楽しいと言う気分とはほど遠く、早く合格したいという一心で、ただただ必死でした。一回一回の訓練のほとんどが、満足の行く出来ではなっかったし、結構いい出来だったと思えたのは数回しかありませんでした。いつ上手くなるんだろう、金銭的には大丈夫だろうかなどと、心配ごともいつも頭の中にありました。しかし、今になってみると楽しかったことに思えるので不思議です。多分それは、無事に合格できたからだと思います。
7.実地試験のこと

 事業用の実地試験を受けた頃は天候に悩まされる日が多く、台風が3つ日本の南海上に居座って、秋雨前線が日本列島にかかっている状態で、そんな天気図が1週間ほど続いていました。多分この天気図は生涯忘れないと思います。

 試験当日も朝から雲が低かったのですが、オーラル試験の後にエアワークに出てみると、幸運にも結構雲がなくなってくれました。そのころ同じような天候が続いていたため、雲を避けながらエアワークの場所を探すのに慣れていたのも幸いしたと思います。また、悪天候のために航法に行ける所が限られてしまい、比較的容易な経路になったことも幸運でした。この時は試験官から、何処なら行けるのか自分で決めるように言われましたが、教官から天候状況も聞いていたし、戸惑わないで済みました。もう少し天気が悪ければ航法は不可だったでしょうし、天候が良ければ、もっと難しい経路になっていただろうと思います。
と言う訳で、半分は強運のおかげで合格することが出来ました。

8.就職のこと

ただでさえ就職が困難な昨今、私のような年寄りにはなおさらのこと、就職は難しいはずです。しかし、アルファーの社長と専務さん、アルファーとお知り合いの某航空の社長さんのご推薦のおかげで、就職することが出来ました。もっと若く優秀な卒業生もたくさんいることを思うと、有難いことです。 これは、毎日の訓練で教官の方々が評価してくださり、それが本社に伝わってのことだと思います。考えてみると、一日一日が試験だったんだとも思えます。 この先、新しい勤務先でずっと仕事を続けて行くことになるのか、もしかしたら、それをステップに新しい仕事へのチャンスがあるのかもしれません。いずれにしてもアルファーで勉強したことを忘れずに頑張りたいと思います。また、今後は仕事の面でも同じ業界人(?)として、お付き合いをして行けたらいいと思っています。

9.最後に

最後に、お世話になった教官の方々と三田本社の方々に感謝したいと思います。また、他の多くの学生とも知りあえて、大変いい財産になったと思います。

また、私の妻にも今だ迷惑をかけっぱなしで、すまないと思っています。早く恩返しをして落ち着いた生活をさせたいと思います。

 

 氏名  氏名 業務経験 今までに経験した飛行業務内容
 年齢  年齢 趣味と休日 趣味と休日の過ごし方 
所属会社 所属会社 労働条件 労働条件や待遇について
 資格等 保有する技能証明・関連資格  提案  ヘリコプターの安全性を高めるための提案
総飛行時 総飛行時間  将来  将来の仕事と生活設計
 学校  操縦訓練を受けた学校 よかったと思う時 この仕事を選んでよかったと思う時は?
 業務  現在の飛行業務 志望する人へのメッセージ ヘリパイロットを志望する人へのメッセージ

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